「上から目線の支援でなく、同じ目線での国際協力を」ウガンダで見たリアル 教3/迫 那津美さん

Untitled

迫 那津美さん

簡単な経歴

教育学部3回生。AIESEC/貧困問題解決プロジェクト所属。1回生の春休みにアフリカ・ウガンダにて2ヶ月間インターン。現在はAIESECの活動をする傍ら、NPOテラ・ルネッサンスにてインターン中。

きっかけは、1冊の本。

どうしてウガンダに?

そもそも、私は国際協力や貧困問題に強く興味を持っています。きっかけは中学3年生の時に読んだ、『ぼくは13歳 職業、兵士。』という、ウガンダの元少年兵のメッセージが書かれた本でした。本に出てくる彼は紛争の時に少年兵になることを強要され、同じ村の人を2人殺しました。そして内戦が終わった後も、「自分はどうしてここにいるんだろう」「自分には生きている価値があるのだろうか」と自問するんですね。そこで、もし自分に何かできることがあるとすれば、それは紛争の悲しさ、平和の大切さを未来の子どもたちに伝えることだ、という思いに至る。戦争を経験した自分だからこそ、よりよい未来を作っていくための大切さを子供たちに伝えていくことができる、と。当時中学3年生だった私は、自分と同年代でこの様な状況にある人がいることを知り大きなショックを受けました。同時に、絶望的な状況の中、自分ができることは何かという、未来の希望を見つけていくその強さに大きく感銘を受けました。その時から、国際協力や貧困問題というものが自分の中の軸になりました。教育学部に進もうと思ったのもその理由からです。未来に希望を見失わず生きようとする子どもたちの夢を叶える手伝いをしたい、そんな思いからはじまり、教育という側面から貧困問題へのアプローチを考え始めました。平和づくりの根本は教育にあるのではないか。社会的不平等のない教育制度、子どもたちが生き生きと学べる教育環境づくり。それらを学んで途上国でも実践できたら…そんな思いで教育学部に進むことを決心しました。そして、その本の舞台であったウガンダ。自分の軸を作るきっかけとなった原点を、肌で感じてみたかった。きれいごとじゃなリアルに触れてみたかった。

uganda - Google Maps-1

とにかく大学の間にウガンダに行きたかった。

海外インターンに行こうと思ったきっかけを聞かせてください。

とりあえず大学の間にウガンダに行きたかったんです。そしてただ観光するだけは嫌だなと思った。私が活動していたAIESECは、海外インターンという機会を提供していました。海外インターンという形でなら、今の私でも現地で役に立てることが見つかるかもしれない、そして将来自分にできることを具体的に描き出す機会を与えてくれるかもしれない。今しかない!そう思って決心しました。

IMG_4566

(現地の子供たち)

19歳の女の子がアフリカへ行くことに対し、親に反対はされませんでしたか?

心配はされました。勿論。ただ反対はされませんでした。自分がウガンダへ行きたい理由、上で言ったような背景を親は十分に理解していてくれていたから、黙って背中を押してくれました。本当に感謝しています。

現地ではどんな活動をしていたのですか。

首都のカンパラではなく、Mityanaという小さい村で、Childline Ugandaという現地のNGOにて活動していました。日曜以外はほとんど働いていて、色々な仕事があってかなり忙しかったですね。HIVで親をなくしたり虐待されていた孤児の世話。また病院を尋ねTB患者のカウンセリングやインタビューに同行。孤児院での衛生関連の授業、また中学生に 英語の授業をしたりもしました。NGOとしてはマイクロファイナンスをやったりもしていました。インターン生は来た当初私の他に中国人の子が一人、日本人の子が一人いて、帰るときには入れ違いで隣国ケニアからインターン生が来ていました。

047

(中学生への英語の授業)

現地の様子を聞かせてください。

ウガンダはアフリカの中で緑と水が豊かな国で、”Pearl of Africa(アフリカの真珠)”と呼ばれています。ですが1980年代に国王が独裁政治を横行、それに対し反政府軍が立ち上がり内戦が発生。その時に反政府軍が村へ侵入し、自分達の盾とするために少年らを拉致し無理やり少年兵にしました。『ブラッド・ダイヤモンド』という映画がありますが、イメージとしてはそんな感じです。この映画の舞台はもっと西のシエラレオネという国ですが。ウガンダの内戦の爪痕は主に北の”グル”という地域に集中してます。人も情報も移動手段が無いため、残念ながら私がいたMityanaでは実際の当事者に話を聞く機会はありませんでした。私がいた地域の人もそういった問題には問題意識を持ってはいましたが、やはり当事者では無いので外から見ている印象は拭えませんでした。その地域では少年兵は今もいます。日本人は外務省から渡航許可がおりず、そこまで行くのは中々難しいのですが、将来的に行ってみたいと思っています。

食べ物はそうですね、バナナです。ひたすら。朝バナナ、昼バナナ、夜バナナ。日本で売ってる様な黄色いバナナとは少し違って、まだ青い状態の時に収穫し、それを蒸してスープと一緒に食べます。それが主食で、日本で言う米みたいな立ち位置です。現地の中学が全寮制で、私もその寮の一角に住んでたのですがキッチンが無いので昼は学校の給食を食べ、後は基本的に屋台などで買って食べていました。首都のカンパラはそれほど治安は良くなかったのですが、私がいたMityanaという街は田舎で、すごく治安が良かったです。人も穏やかでした。

010

(孤児院の子供たちへの衛生の授業)

 「ポイ捨ては良いことだ」と考えていた子供たち。

インターンの中で一番大変だったことはなんですか?

現地の中学生への英語授業ですね。ウガンダはイギリスの植民地だったから、母国語は英語です。ガンダ語という現地の言語がありますが、中学生はもう基本的に英語を話す。だから向こうとしてはいきなりアジア人が来てなんなの?という感じだった。 結局、私から文法等を教えるのではなく、テーマを提示しディスカッションしてもらうというスタイルをとりました。後は作文を書いてもらったり、時間が余ったら折り紙を教えたりと、色々工夫し何とか乗り切りました。今まで全く知らなかったけれど、授業の準備というのは時間がかかるし本当に大変。そういえば一度ディスカッションをしてもらっていた時、こんなことがありありました。ウガンダでは道ばたに沢山ゴミが落ちているから、「ポイ捨ては許されるのか」というテーマを提示しディスカッションしてもらいました。すると驚いたことに、多くの生徒が「ポイ捨ては良いことだ」と言うんです。理由を聞くと「ゴミは土に還るから」と。確かに有機物はそうですが、プラスティック等はそうではない。そのことを伝えると、生徒はびっくりしていました。また日本ではゴミの分別が行われているということにも驚いていました。こういったところでも、改めて教育の大切さというものを感じさせられました。

2

(ボロボロの校舎、足りない机と椅子。そして教師不足。)

ヒアリングしようとすると、その子は数カ月前に既に亡くなっていた、ということも。

インターンを通し、特に印象に残っていることはありますか?

3つほどあります。

1) Childline Ugandaの大きな活動の一つとして、”To identify vulnerable children who are HIV+, orphans, abused and follow-up them”いうものがあります。私が任されたのがこれ。プロジェクト名は”Today for Tomorrow”。

このprojectでは、リスト化されている、HIV+に感染している子供たちを訪ねヒアリング、ニーズ調査をしました。

HIV+の子の中には、なぜ自分が薬を飲まなきゃいけないのか理由を親から聞いておらず分かっていない、という子も何人かいました。自分がHIV+であることを知らないのです。

そして、薬を飲み続けるからには、たくさんの水の摂取が必要で、またHIV+の子たちはほかの子供たちより病気に対する免疫力が弱いのでたくさんご飯を食べ、よく寝て、健康的に過ごす必要があります。しかし家が貧しくて給食費が払えないためご飯がもらえていなかったり、水も持っていなかったりする子が多いのです。これはほんとに危険な状況です。

“How are you finding life after you discover your HIV+?” という質問に対し多くの子供たちが

“Finding life well.” と答えてくれていた一方、

“What are some challenges you experienced in life?” という質問に対しては

“No Lunch, no drinks, no scholastic materials, no school fees, no school uniform. “ という回答が本当に多かった。

どうしてHIV+の子供がいる家庭では、食べ物も飲み物も無いほど貧しいのか?と疑問に思って、NGOのリーダーに尋ねてみると、

*HIV+の子供は薬を飲み続けなればならず、その薬代が高い。

*ウガンダの家庭では子供は5~10人と多いので、その子がHIV+だと分かるとneglectされ、なけなしに扱われ、食事も水も十分に与えてもらえなくなる。

とのこと。

もともと貧しい家庭で、子供に将来を期待して産み、その子供がHIV+であるためまた貧しくなってしまう..という悪循環もあるのだと思います。貧しい家庭ほどHIVの問題に悩まされてしまうという残酷な現実を目の当たりにしました。

HIV+の子供へのヒアリングが終わると、
わたしたちは子供たちにご飯や水をきちんと摂取すること、薬を飲み続けること、寝る時は蚊帳を使うことなど、recommendationを伝えます。

そしてその後、いつもその子どもに「一番信頼している先生はだぁれ?」と尋ね、その子が名前を出した先生を呼んできます。
その先生に、この子がHIV+であり給食や水など特別なサポートが必要であることなどを伝えます。

先生たちはいつも私たちが話し終わると、
「この子がHIV+であることや、貧しい家庭状況などを全く知らなかった。知らせてくれてありがとう。できる限りのサポートをします。」と言ってくれます。

ヒアリング活動をしていて思うのですが、大体の先生は生徒一人一人の家庭状況など詳しいことまでは知りません。ましてや、その子がHIV+であることを知らなかったという先生がほとんどです。

だからこそ、この活動は先生にHIV+である生徒の情報を伝えて協力を得、その子どもたちをサポートしてもらうためにとても重要な活動であるなと思ってます。

2) ヒアリング活動をしている中で、リストに載っている子供のいる家へ電話をかけアポを取ろうとすると、その子は数か月前に亡くなったと聞かされた時もありました。そのお母さんのいるところへ訪問し、その子のことについてchildlineでサポートしようとしていたことを話すと、お母さんは泣き出してしまいました。
大切な子供をなくす親の気持ち…
私まで涙が出そうになるのをこらえました。つらいと思う。私なんかが想像できないほど、すごくすごく辛いと思います。ファイルの中に載っていた子供の写真を見て、泣きじゃくるお母さん。その姿を見ているだけでも辛かった…
HIVの恐ろしさを、改めて実感した瞬間の一つです。

3)このヒアリング活動をしていてNGOのリーダーが先生に話している間など、子供たちを待たせる時間があるので、そんな時には折鶴をおってその子にプレゼントしたりしました。
「折鶴はね、日本で“平和”を象徴するものなんだ。君が健康に暮らしていけることを願ってる。」
と言って、願いを込めて。
それまで突然のヒアリングに戸惑っていた様子だった子供たちが、一瞬にして笑顔を見せてくれる瞬間です。
こうしてせっかくHIV+の子供たちに会いに回っているんだから、私にできることはこの子たちとの出会いを大切にして少しでも元気と希望を与えることなんじゃないかな、って思いました。だから、その一つとして出会った子どもたちに折鶴を配っていきたいと思い、実行していました。

Untitled

上から目線の支援で無く、同じ目線での国際協力を。

現地での活動を通し、何か変わったことはありますか?

国際協力・貧困問題解決というものへの視点が良くも悪くもやや冷めたことです。興味を失ったということでは全くありません。

現地に行く前は、アフリカのNGOはテキトーだとか、みんな給料が良いからやってるだけ、といった様に噂を色々聞いていた。だから私も結構覚悟していったんです。でも行ってみたら違った。私のボスは26歳のウガンダ人だったのですが、予想以上に真面目で、ウガンダの孤児の支援等NGOの活動に、本当に心から問題意識を感じ取り組んでいた。私も忙しかったですが、それとは比べ物にならないほど、休日も返上して働いていて、そんな様子がとても印象的でした。人として、心から尊敬できる人でした。それまで自分の中では、 現地の人は自分の問題に無頓着であるか、もしくは解決方法を知らないから自分が助けなくては、という使命感みたいなものを無意識のうちにも持っていました。けれど、自国の問題に真剣に目を向け、汗を流す彼(ボス)を見ていて、私達の手がなくても現地の人だけで回していけるのでないかと思った。私が感じていた「私達が支援しなくては」という使命感の中には支援する側、される側という概念があって、図らずも上から目線の様なものが含まれてたのでないかなと思います。現地の人だけでは出来ないから、私達が手を差し伸べないと、と。しかしきっと、あるべき国際協力・貧困問題解決のあり方はもっと、同じ目線で向き合うこと 。一方的な支援よりも例えば現地でビジネスを作ったり、現地の人が自分たちで回していけるような仕組みづくりをすることなのでないか。そういう意味で、自分の中にあった使命感の様なものはやや冷めた感じがしています。

ただ同時に、子供達と話をして夢などを聞く過程で、教育の大切さというのは改めて強く感じました。 未来に向かって歩こうとしている子供たちの夢をかなえる手助けをする仕事がしたい。この子たちの夢をサポートする一つの手となりたい。そんな想いは強くなりましたそして日本に帰ってきてから、日本で文房具を集め現地に送る活動をしたりしていました。またこの経験を経て感じた、「支援という形では上下関係が消えない」「ビジネスの様な、対等な形を模索する必要がある」といったことを機会がある限り人に伝えたい、という思いがかなり強くなったのも変化の一つかなと思います。

DSC02240

(現地の子供たちと。)

ところで、京大ではどんな生活を送っていたのですか?

入学当初から貧困問題への問題意識は強く、AIESECの貧困問題解決プロジェクトに入りました。AIESECでは京大生を途上国にインターン生として送り出す手伝いをしていたのですが、1回生の時は主に、その準備の過程で必要となる知識を取り入れるために教授に会いに行ったり、自分で色々と調べたりして知識を深めました。また貧困問題に関し高校へ出張し授業を行ったりもしていました。自分の興味に対し敏感にアンテナを張って、情報収集もしていました。2回生になってからは、自分がインターンに行った経験を踏まえ、より多くの人にそういった機会を提供したいと思いより一層AIESECの活動に取り組むようになりました。貧困問題について啓発するイベントを開いたりもしていました。また1回生の時はベトナム、2回生の時はカンボジアと、それぞれスタディツアーにも行きました。

今年の年始からテラ・ルネッサンスというNPOで週2の頻度でインターンをしています。ここは実は、私が貧困問題に興味を持つきっかけになった本『ぼくは13歳 職業、兵士。』を出版したNPOなんです。ということでここでインターンができることに運命を感じています。活動としては寄付者の方との関係維持、会計、広報等、大変なことも多いのですが、立ち上げから現地の人たちとコミュニケーションをとりつつ多くの経験をしてきた理事長の方のもとで働くことができていて、本当に色々と勉強させていただいています。

これからの展望を聞かせてください。

これまで2年間で、AIESECの活動やNPO法人テラ・ルネッサンスでのインターン等、座学以外の活動に注力してきました。しかしこれから2年間の大学生活を考えた時に、京大で勉強できるのも今しか無いのだなということに改めて気づき、教育の勉強により注力していこうと思っています。並行して、引続きテラ・ルネッサンスでのインターンも頑張っていきます。卒業後の進路については、今の段階では、まずは民間企業でしばらく働いた後、将来的には国際機関で働きたいなとぼんやりと思っています。また教職の免許もとる勉強もしているので、現地に行って教師として働くのも選択肢の一つです。ウガンダは必ずもう一度訪れたいと思っています。

sds

(聞き手/文責: 上村 直也)

_________________________
迫 那津美(さこ なつみ)
facebook: Natsumi Sako
Blog(インターン当時のもの): http://n1ko2nattsu.blogspot.jp/
AIESEC Kyoto
NPO法人テラ・ルネッサンス 

Advertisements

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s