山に登る前に、景色を見ることは出来ない。理学部卒・文部科学省・IAEA/ 粂川泰一さん

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粂川 泰一さん

簡単な経歴

1993年京都大学理学研究科修士課程修了・1994年博士課程中退。同年科学技術庁(現在の文部科学省)入庁。2000年から2003年までIAEA(国際原子力機関)ウィーン本部出向。2010年12月から現在に至るまで2度目のIAEA出向。滋賀県出身。

京大大学院を修了後科学技術庁(現文部科学省)に入庁、現在は国際機関IAEAのウィーン本部にてお仕事をされている粂川さんを取材させて頂きました。ご自身も現在は大学時代の専門とは全く違うことに関わっておられ、「山に登る前に、景色を見ることは出来ない。将来とのつながりが不安になっても、今夢中になっていることは決して無駄にはなりません。」と語る粂川さん。国際機関での生活、目の前のことに夢中で取り組む大切さをお伺いしました。

保障措置の実施のための各国政府/施設の職員のトレーニングを担当。

現在のお仕事について教えて下さい。

現在は文部科学省から派遣され、IAEAの保障措置局という部署で仕事をしています。日本など核兵器を持たない国は、核不拡散条約に基づき、核物質を平和目的にのみ利用する約束をしていますが、保障措置局の主な仕事は、そのような約束が守られているかを客観的にチェックすることです。保障措置の実施に当たっては、携わる人達の能力が重要で、私の所属する課ではそのための訓練、トレーニングを行っています。訓練には現地に赴き査察等を行う査察官をはじめとした内部職員向けのものと、各国の政府や核物質を取り扱う施設の職員を対象にした外部向けのものがあり、私は外部向けの訓練を担当しています。核不拡散条約にはIAEAとの間で保障措置を実施する約束、協定と呼びますが、各国にはこの協定に基づき、国内の核物質や関連する活動に関する情報をまとめてIAEAに報告し、IAEAの行う査察に対応するなどの義務があります。これらの義務を果たすにはどういうことをすれば良いのかについて、講義や演習などを通じて理解を深めてもらうことが我々の活動の目的です。日本は保障措置の世界では大変重要な国で、他国がこのような能力を高めるために様々な手助けを行っています。私の仕事の相当の部分をそのような日本の関係者とIAEAの関係者の間との調整が占めており、出張機会はそう多くありませんが、これまでは日本の他、カザフスタンなど旧ソ連圏の国々に出張しました。旧ソ連圏の国々では、講義は通常は受講者に理解してもらいやすいようロシア語で行います。私もロシア語で講義をしたいところですが、講義は英語で行い、ロシア語の堪能な同僚に通訳してもらっています。ロシア語も2年前から勉強を始めましたが、まだ仕事で使うには程遠い状況です。単語を覚えるのも一苦労で、語学は頭の柔らかい大学生のうちにもっとやっておけばよかったと今になってつくづく思います。

ウィーンとザンビアへ。

どんなきっかけで国際機関(IAEA)で働かれることになったのですか。また、それ以前に海外での生活の経験があれば教えて下さい。

IAEAには二度目の赴任になります。二回とも保障措置局ですが、仕事の内容は異なります。保障措置局はそのチェック能力を常に磨いていく必要があり、そのためには仕事のやり方、チェックに使う機器などを更に改善していく必要があります。そのためには加盟国からの技術的、資金的な支援が必要で、一回目の赴任はそのような技術開発プロジェクトの仲立ちをする仕事に従事しました。様々な支援内容を進行させながら、それらをどう整理すれば、さらに効果的・効率的に多数の支援課題を進められるのかということに取組みました。

当初は英国人の上司の話す英語が聴き取れずに苦労しましたが、多くの人と関わり、互いに物事を進めやすいシステムを構築していく仕事で、とてもやりがいがありました。実はこの赴任が決まる前、当初大学への一年間の海外留学制度に応募していたのですが、二年間海外で働く機会ということでこちらにした経緯があります。結局、システム立ち上げの目途をつけるため、もう一年間残って三年間仕事をすることになりました。

大変充実した三年間でしたので、一度目の赴任の後も、もう一度IAEAで働いてみたいと希望を出していました。このような希望も考慮してくれたのだと思いますが、文部科学省の先輩が就いていた今のポストで後任として働く気はあるかとの打診が省内であり、その後IAEAの面接等を経て採用が決まりました。

ウィーン赴任以前の外国在住経験としては、大学院生時代に5ヶ月間アフリカのザンビアで暮らした経験があります。タンガニーカ湖という九州程の大きさの歴史の古い深い湖があり、そこで先輩の研究者と一緒に魚の生態の調査をしていました。鱗を専門に食べる魚がいるなど、近縁の種類の魚が驚くほど様々な形や生活形態に分化しており、生態学の研究の面では大変興味深い場所です。世界にはまだ分かっていないことが無限にあるということが実感できた研究生活からも、ザンビアの人達と暮らし、日本とは全く違う生活や考え方、態度からも大変刺激を受けました。

“意見の衝突は、日本の時の方が多かった”

国際機関で働かれていて苦労されたことはありますか。

それほど多くはありません。苦労と言えるかは分かりませんが、日本でのように物事が進むと期待はできない点は違うといえるでしょう。日本では仕事を優先して休みを取らなかったり、急ぎの仕事には不在の職員の仕事を部署でカバーしたりすることが良くあります。国際機関の場合は職務がより区分されている上、情報の共有が日本ほどではなく、休みもきちんととるので、担当者が戻るまで仕事が進まないことがあります。幸い所属する課ではお互い助け合っていますが、別の部署が絡む話には事情が違ってきます。ただ、このような違いは国際機関特有のものというより、日本の習慣と外国の習慣の違いによる部分も大きいように思います。

実際に苦労しているのは、自分のコミュニケーション能力の問題です。先にロシア語が使えないとの話をしましたが、英語も講義をするにはまだ十分とは言えません。講義で使う用語には正確で慎重な言い回しが必要なものもあり、特に質疑応答などでは苦労します。同僚は英語をはじめ複数の外国語に精通する人も多く、中には国連公用語を5つも使いこなす人もいます。大勢の受講者を前に、リラックスして対話形式で巧みに講義を進行するところなど見習いたいものですが、一朝一夕に真似できるものではありません。

なお、多様な文化的背景がある国際機関では、日本での仕事に比べて意見の相違や衝突が厳しいのではと思われるかも知れません。私自身の体験に限ればむしろ逆です。なんといっても日本での仕事は今に比べ折衝の要素がはるかに大きかったことが主な要因でしょうが、もともと相手が多様な考え方をする前提で話をする国際機関に比べ、日本人同士の議論の場合、自分の抱く前提を当然相手もわかっているはずと思い込みがちな点も多少は関係しているように思います。

日本では科学技術の振興のための様々な仕事に従事。

官庁ではどの様な仕事をされていたのですか。

官庁では2年位までに部署が移ることが多いので、様々な案件に関わって来ました。文部科学省として統合される前、科学技術庁では原子力関係の仕事が多かったのですが、1回目のIAEA赴任からの帰国後は科学技術関係全般にわたる仕事が主でした。日本政府全体の科学技術振興に講じた施策をまとめた科学技術白書の作成の事務局を務めたり、大学等の研究機関における研究費の管理の仕方に関するガイドラインの策定に携わったり、今回の赴任の前には、文部科学省で科学技術分野において国際交流を推進するなどの仕事に携わりました。それらの中でも2年9ヶ月と一番長かったのが、前回の赴任直後に内閣府で携わった、沖縄に全く新しいコンセプトの大学を作るというプロジェクトです。資源のない日本の将来は優秀な人材にかかっています。日本にも優れた大学はありますが、やはり日本語の壁があります。このプロジェクトの目標は、英語を学内の共通語にし、言葉の障壁を取り払って世界中の優れた研究者を集め、科学技術の分野で”One of the best in the world”となる大学を作ろう、というものです。この目標のもと、多数のノーベル賞受賞者を含む一流の科学者のアドバイスに沿って、白紙の状態から大学の構想を練り、それに向かって前身となる研究機関を立ち上げていくという仕事でした。多くの面で前例を破っていく必要がありましたし、プロジェクトが進むにつれいろいろな課題も次々出てきました。喧々諤々の議論を通じて、一つ一つ難題を片づけながら何とか前に進めていくという毎日でした。その後の関係者の努力により、昨年、沖縄科学技術大学院大学(OIST)として発足し、事務局も含めて500名近い体制になっています。どのようなところか、ウェブサイトもあるので関心を持って見て頂けるとありがたいです。まだ小さな大学ですが、諸外国とも活発に研究交流をしていますので、そのようなネットワークがOISTだけでなく、京大など日本の優れた大学とも相互にメリットのある形で広がることで、OIST及び日本全体の研究の活性化につながっていって欲しいと願っています。

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OIST(沖縄科学技術大学院大学)

世界の平和は、日本の平和とつながっている。

官庁と国際機関で働いてみて、感じられた違いを教えて下さい。

官庁と国際機関の仕事の違いの第一は、その目的です。日本の官庁では日本のために仕事をしますが、国際機関の職員は、どの国から派遣されようが、当然機関の目的に沿って、世界のために仕事する義務を負っています。

ただ、核兵器の不拡散は、日本の安全保障にも極めて重要であり、日本も積極的に支持していますので、IAEAの仕事を務めることが日本の国益にもつながる点で全く利害の相反はありません。ですから、目的は違っても実際の仕事に臨む態度に影響があるというようなことはありません。

一方、大きく異なるのはワーキングスタイルです。日本では残業のない生活が考えられないような毎日で、連日深夜までの勤務が常態でした。一方こちらでははるかに規則正しい毎日が過ごせ、休暇もしっかり取れます。しっかり休むことは、いろいろなことを落ち着いてしっかり考えるためにも必要で、日本では余裕がないために、目の前の仕事にのみ集中せざるを得なくなってしまう傾向があるようにも感じられます。

環境庁を志望しつつも、試行錯誤を重ねた大学時代。

どんな京大生活を送られていましたか。

今はどうか分かりませんが、私がいた頃の理学部は本当に自由放任で、科目も自由に選べました。4回生になって単位が揃っていても、卒業するかしないかを自分で選べ、卒業証書も「主として生物学を履修した」というような記載でした。なので結構好きなことをしていましたね。初めは準硬式野球部に入っていましたが1年間で辞め、その後はふらふらと国内旅行などをして過ごしました。当時、将来は環境保護に関わる仕事を志しており、環境庁に入り、国立公園のレンジャーになりたいと考えており、環境庁でお仕事をされている理学部の先輩を名簿で調べて手紙を書き、会って頂いてお話を伺ったりしました。4回生の後半から動物生態学の研究室に所属し、貴船川で昆虫の研究をした後、大学院に進みましたが、あくまで将来は環境庁で仕事することを目指していました。テーマ選定も自主性に任されていたので、修士課程の1年目の大半はテーマ探しをしながらまたふらふらと過ごしていました。後で聞いたのですが、指導教授には密かに心配をかけていたようです。修士1年の終わり頃から琵琶湖で魚の研究を始め、博士課程ではアフリカでの研究にも参加させて頂きました。博士課程の1年目に公務員試験を受けた結果、志望していた環境庁ではなく、オファーをもらった科学技術庁(現在の文部科学省)に採用が決まりました。入庁時には、科学技術庁を良く知らず、これからどのような仕事をすることになるのか、率直にいって余りイメージはできませんでした。

環境の保護に関わりたいという志望の背景には、自分には実業方面より、公益分野で将来の世代によりよい社会を残す仕事の方が性に合っているという考えがありました。結局科学技術の振興という別の形になりましたが、今振り返ってみれば、将来世代のための仕事を行ってきたという点では一貫していたと思います。また、入庁時には予想もしなかった様々な体験ができたことで、今は選んだ道に満足しています。

山に登る前に、景色を見ることは出来ない。

京大生に向けメッセージをお願いします。

若い段階で長い人生を見通すことは無理です。現在の私を大学時代に想像することはできませんでした。山に登る前に、これから体験する景色を先にみることはできないのと似ています。思い切って一歩を踏み出し、しばらくは辛くても歩き続けることで見える景色が変わってくると思います。

今していることが自分の将来とどうつながっていくのか不安になることもあるかもしれません。しかし今夢中になってやっていることは決して無駄にはなりません。今身につけた知識は直接将来に結びつかなくとも、今学んだ考え方を温めておけば、必ず役に立つ機会が出てきます。私の場合、今の原子力関係の仕事をする上で、大学時代に学んだ動物生態学の知識は全くという程関係していませんが、その研究・勉強の過程で身につけた考え方はその後も活きています。一例を挙げれば、一回目の赴任の際、それまでばらばらであった多くの課題をまとめて把握しやすくする作業は、分類学に似ているところがありますので、貴船川の昆虫やタンガニーカ湖の魚を研究した際の経験を思い出しながら対応しました。

新たな考え方や視点を得る方法は、学問に限りません。いろいろな体験が重要です。旅をし、異質なものに触れることも視点を広げるのも役に立ちます。

なお、学生時代までに学んだことは大事な基礎になりますが、仕事をするには常に勉強をし続ける必要があります。職種にもよりますが、実際に仕事で使うのは主にそちらの知識になることが多いのではないでしょうか。自分自身だけでなく、同僚や様々な人達の知識や考え方を借りることで現在の問題に対処し、そして問題に対処した経験がまた次の問題に対処する際の材料になっていくのです。

また特に理系の方は卒論や修論のための研究がありますね。高校までの勉強は正解があって覚えることがほとんどです。でも、学問、というのは覚えることではなく、「問うて学ぶ」ということです。大学では研究をすることで自分の専門のごく限られた範囲であっても、最先端に触れる機会があります。ここまでは分かっているがここまでは分かっていない、ここまでは言えるがここからは言えないという境界を経験することができます。世の中にまだ分かっていないことがあるということを直接的に経験し理解することは非常に大切なことです。皆さんが研究を通して新たな知見を得られたとしたら、それはあなた以外の世界中の誰もが知らないこと、更に言えば今まで地球上に生を受けた誰もが知らないことなのです。そしてそのような新たな知見が、人類が受け継ぐ共有財産である科学をさらに進めるのです。

短い時間で結果を出すのは難しいかも知れません。しかし、そのような場合でも、取り組むべき問題を絞り、その問題への適当なアプローチを検討し、得られたデータを整理して何が引き出せるかを考え、その結論を検証するために論理的に詰めて議論を重ねることは、様々な仕事においても大変応用範囲の広い経験で、長い目で見れば決して無駄にはなりません。とことん研究するのは体力勝負でもあり、今しかできない体験とも言えるでしょう。ぜひこうした機会を大切にして頂ければと思います。

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IAEAウィーン本部にて。

粂川泰一(くめかわ ひろかず)

IAEA(International Atomic Energy Agency) http://www.iaea.org/
OIST(沖縄科学技術大学院大学) http://www.oist.jp/

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聞き手: 上村  直也
京大農4年。21歳。茨城出身。元AIESEC
南米一人旅、アフリカ/ブルキナファソでのインターン、豪メルボルン大学、独フライブルク留学を経て現在墺ウィーン大学に留学中。1年半日本を離れるものの4年で卒業/就職予定。
大陸制覇、残すは南極。訪れた国は40カ国ほど。

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