「なんかすごいことしたい」ベルギー留学中に1日1000人、100万円のイベント開催。農4/中道 学人さん

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中道 学人さん

簡単な経歴

京都大学農学部 森林科学科4回生。大阪府立茨木高校出身。体育会(サッカー部)所属。3回生時、9月より2学期間ベルギー/ Catholique de Louvain大学に留学。

国際学会の場での父のプレゼンに衝撃 。

そもそも留学に行こうと思ったきっかけは?

今でこそ京大好きですが、はじめに入学した時は、京大おもんねって思ってたんですよ。

みんな単位のためだけで全然勉強しないし、サークルとかで遊んでばっか。

がっかりして、失望しました。高校のときのが充実してたんじゃないかって、地元の友達に愚痴ったりしてました。勉強はしてたから成績は良かったし、英語講義とってみたりとかしてましたが、結局自分も愚痴ってて、何か特別なことをやってるわけじゃなくその一部だった。 だから1回生の時はなんだかモヤモヤした想いをかかえながら過ごしてました。

そんな時に、1回生の1月に京大で国際霊長類学会というのがあったんです。4年に1回、世界中で開催されるんですが、それがたまたま日本で、しかも京大で行われていた。父が大学の教授で霊長類の研究をしていて、来ないかと言われたんです。なんかおもしろそやなと思って、参加してみたら、外国人ばっかで、みんな英語で話してる。学生は自分ひとりで、英語も全然わからなかった。もうすっごい場違いな感じでした 笑

色々な人が英語で講演してたんですが、なんかどうも父も話をするみたいだった。「おいおい父さん大丈夫かよ」とヒヤヒヤしてたら、それがね、すらすら話してたんですよ。日本語なまりの英語ではあったけど、堂々と、プレゼンテーションしていた。講演の後の 他の教授・研究者の方の質問にもきちんと答えていたし、終わった後は色々な人が名刺交換しに来ていた。素直にかっこ良いなと思った。そんな姿を見て、単純だけど、自分も英語話したい!半年くらい留学いこ!ってその時思った。これがはじめのきっかけでしたね。

「英語圏だけじゃなくてもいいんや」

なぜベルギーを選んだのですか

そうそう、その1月の学会に参加した後は、英語やりたいと思ってたし英語圏、って思ってたんですよ。でもその後3月に京大の国際交流科目でタイに行って。そん時に初めの記事にも出てきた富澤さんもいて 、彼女が1年間フランスに行くことを知った。そん時に「あっ英語圏じゃなくてもいいんや」って思った。というか、半年英語圏行くだけだったら英語しか身につかないし、一方彼女が1年行って違う言語身につけてきたら、それって負けやなって思った。なんだか自分は 基本的に勝ち負けで価値判断をしちゃってるみたいで。笑  負けず嫌いなのかも。

まあそういうわけで英語圏じゃないとこ行きたいなって思いだして。漠然と、色々価値観の混ざってるヨーロッパに行きたいなと思った。英語圏のイギリスや、英語が普通に話されているオランダやスウェーデン以外だと、消去法でベルギーやドイツ、オーストリア等になって。でもその時はなぜか「ドイツの人って冷たそう」と思ってたんでベルギーになりました。

あとまあ英語圏だとTOEFL受けなきゃで面倒だったというのもありますけど。笑

留学に対して何か目的、目標は設定していましたか?

専門の勉強よりは、フランス語・英語を完璧にして帰ってきたろ!と思ってました。だからはじめは日本語は1回も話さんとこって思ってた。あと漠然と、現地で何かでっかいことしてやりたいとも思ってました。

第2外国語は西語。仏語はノータッチ。

語学での苦労はありませんでしたか?

ベルギーって面白くて、1つの国が2つの言語圏に分かれてるんですよ。オランダ語とフランス語(一部ドイツ語も)。僕の留学していたところはフランス語圏ですが、10分行ったらオランダ語圏で、言語は全く違うし人の雰囲気も違う。

で、肝心の僕はと言うと行く前フランス語はノータッチでした。第2外国語はスペイン語だったし。 だから行ってから猛勉強しましたね。 純粋に一緒に住んでいた学生と話すのが楽しくて、話したかったから勉強はそんなに苦では無かったですね。

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(イベントのビラ)

1日で1,000人、100万円のイベントを開催。

留学中一番頑張ったことはなんですか?

日本文化を紹介するイベントを企画・運営したことですね。700人を超える方々が来てくださり、日本食を体験していただきました。 外国行って「日本食のイメージは?」と聞くと大体「寿司!」ってなりますね。間違っては無いですよ。けどそれだけじゃないじゃないですか。日本には他にも沢山美味しいものがある。お好み焼きとかカレーもそう。そういう、もっと身近な、僕らの知っている本当の日本の食文化を紹介したかった。発端は自分の留学している街に住んでいる、震災遺児の支援をしているNPOを運営する日本人の方の依頼。震災遺児の支援をするための資金集め、チャリティイベントをやって欲しいとのことでした。自分自身、こっちで何か大きなことをしてみたいという気持ちがあったので引き受けました。けど普通にチャリティイベントやって募金お願いします、ってやってもあまり面白くないかなと思った。入場料はとるけれどそれで来てくれた人たちを満足させる方がsustainableかなと。あとやるならでっかくやりたいよなってことで、日本文化を絡めて何か出来ないかな、と思って行き着いたのが日本食の紹介だった。 色々作りたかったんですが、結局は豚汁とカレーを出しました。そしてただ食べてもらうだけでなく、レシピを教え自分の家でも作れるんだということを伝えるようにしました。あと着物の着付け、スーパーボールすくい、剣道のショーなんかもやってました。

結果としては、当日の参加者は来場者、出演者、運営の方々合わせ、総じて約1000人にのぼりました。総売り上げは1万ユーロを上回り、計6社からスポンサーをいただいたこともあり、純利益7500ユーロ(100万円弱)を達成することが出来ました。この利益は全て、先にも出てきたMIRAI asblという、現地で震災遺児のサポートをされているNPOにお渡しします。この夏(2013年)に行われる、遺児をベルギーに招待するホームステイプログラムなどといった、彼らの活動に使っていただきます。結果として成功に終わり、本当に満足しているのですが、この4ヶ月は本当に本当に大変でした。ベルギーに留学している日本人学生5人と共に、5ヶ月間奔走しました。関係者に協力をお願いしたり、スポンサー集め、場所の確保、外国語での企画書づくり等初めてのことばかりで勉強どころじゃなかったですね。

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「ベルギーまで来て何をしてるんだろう」そんな想いを乗り越えて。

準備の過程で一番大変だったのは何ですか?

スポンサーをとったり関係者の方を巻き込むことです。大きなイベントを開催するならスポンサーがないとってとで12月末からスタートして、5人で100社以上の会社に連絡したり、市長とやりとりをしたり。日本ベルギー貿易振興会にメールを送って会いに行って、そこで会社の人にアタックしたりも。しかも会社に外国語でメールした経験なんて無いので、何度も添削してもらわなくちゃいけませんでした、

「協力するよ」とは言っていただけても、それだけでは何も具体的なものを引き出せたわけではありません。形のある支援までつなげるのが中々難しかったです。始めた当初は全然スポンサーもとれず、交通費だけはかさんでいって本当にきつかった。しかも2ヶ月前の2月まで場所が決まらず、見通しが中々立たなかった。ベルギーまで来て自分はなにしてるんだろうって気持ちに何度もなりました。これはもう本当に出来ないかもしれないぞ…と思ったこともあります。それまで2,3ヶ月うろうろしてたわけですよ。その間、フランス語/英語の勉強はかなり犠牲になっていましたし。しかも出来なかったら、自分だけでなく、巻き込んだチームメンバーの時間も無駄になる。だからもうやるしかないかなと。途中で立ち止まる勇気が無かったとも言えるかもしれません。けれどそれから、ベルギーで有名な日本人の料理人の方に協力していただけることになり、そこからはプロジェクトが加速していきましたね。1人はミシュラン1つ星を取得しているシェフで、レシピを提供してくださり、また当日も手伝っていだたけました。もう1人は国賓の御用達レストランのシェフの方で、それまでは中々アプローチが難しかった日本の大企業の現地法人社長の方や、大使館の方にぱぱっと繋いでくださり、当日も助けていただいた。本当に感謝しています。そのあたりからスポンサーの獲得も波に乗ってきて、 資金援助をしていただいたり、飲料の提供、日本酒を安く仕入れさせていただいたり。ベルギーの大手スーパーには材料の半分くらいを提供してもらいました。場所に関しては、ヨーロッパでも有名な日本語学科を持つルーヴェン・カトリック大学(Katholieke Universiteit Leuven)の協力を得て、大学の建物と駐車場を借りて行うことになりました。

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言い出しっぺがやめたらかっこ悪い

終わってみていかがですか?

当日までは本当にがむしゃらに、ずーっと働いていた。場所が決まらなかったりスポンサーが中々取れなかったりで、途中でやめたくなる理由は沢山ありました。でも背中を押してくれる方々、既に協力を申し出てくれている方々がいたし、また言い出しっぺでやめるのもかっこ悪いのでとにかくやり通した。それまでの費用は全部活動している僕ら自身が負担していて、3000ユーロとか使ってました。スポンサーがとれて、前売り券も売れて金銭面で安心できたのは2週間前くらい。でもその後も準備が全然進んでないということで、本当に当日までバタバタ。

当日は日本に興味のある外国人、ベルギー在住の日本人の方々等多くの人に来ていただき、すごく盛り上がりました。前日・当日にベルギー在住の日本人の方や日本語学科の学生をはじめ合計70人くらいの方が手伝ってくれたのですが、個人的にはひとつ“日本”という要素を介して世代や国、文化を越えて、手伝っていただいた方同士が、また参加者同士が交流している様子がすごく嬉しかったですね。運営に協力してくれた人からは、新しいことばかりで楽しかったと言ってもらえました。参加者の方々も、提供した日本食を本当に美味しそうに食べてはったし、スーパーボールすくいなんかも本当に楽しそうにやってましたね。

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(イベント終了後。)

1回の出会いで、いかに自分に惚れてもらうか。

イベントの企画運営を通して感じたこと、学んだことは?

まずはリーダーシップをとってプロジェクトを動かしていく力。「リーダー」って言ったら響き良いけど、リーダーって基本事務作業なんですよ。誰に何を頼もうかを考えるのも大変です。メールの連絡事項と書類作成だけで1日15時間パソコンとにらめっこなんてこともしょっちゅうでした。でもやっぱり言い出しっぺですから。あきらめないで、やる気を落とさないで、前向いてかなきゃいけない。最終的にかなり大きなイベントになったし、関係者の方も増えてきて、チーム全体のモチベーションを保っていくのは大変でしたが、学ぶ点は多かったですね。

あと、企業や個人に協力をお願いしに行くときは、1回の出会いで相手を乗り気に、信頼してもらわなければいけない。そういう意味ではトークや礼儀や作法が大切になってきます。数少ないチャンスでいかに自分に惚れてもらうかが勝負。失敗すれば15時間分のメール内容を自分たちで消化しなくちゃいけないですから。笑 そういう意味では、欠点だらけの僕らに初めから耳を傾けてくださった方々にはとても感謝しています。今でこそ分かるけれど、どれだけ失礼なことをしていたか。それでも僕たちに理解を示してくれた方々に、本当にありがとうと言いたいです。

それから、準備の過程で色々な社会人の方や会社の人と接するのを通して、あぁ社会ってこう回ってるんだなってことを身に染みて感じられたのは良かったなと思います。企画書一つ書くのをとってみてもそうですが、なんでこんな面倒なことしなくてはいけないんだろうってことの一つ一つにも理由がある。今までの学生生活では中々触れることのなかった世界に触れ、大いに勉強になりました。

言語のハンデを、想いで越える。

イベントを、海外でやったからこそ得られたことは?

度胸がついたことですね。

前にもちょっと言いましたが、ベルギーはフランス語圏とオランダ語圏があります。例えば大手スーパーにスポンサーのお願いをしに行った時、初めに対応してくれた人とはフランス語、次の上司は英語、次はフランス語、そして実際に食材を支給してくれた時の方はオランダ語だった。笑 イベントの開催場所になってた大学がオランダ語圏にあって、自分はオランダ語は出来ないからイベントを行うためにはその大学の学生の協力が必要不可欠だったんです。それでその大学の日本語学科の学生を集めてプレゼンをしにいったことがありました。プレゼンは英語。留学を経て語学力は上がってきてはいたけど、やはり ハンデは感じてました。だからカッコ良いこと言ったり、印象的な言葉を発したりとかは出来ないと思った。けれどその一度のプレゼンで自分の想いを伝え、イベントに興味を持ってもらい、イベントに巻き込まなくてはいけない。あとかたい雰囲気で無く和やかな雰囲気にもしたかった。色々考えて、僕はビデオを作ることにしました。これにはかなり時間をかた。プレゼンもかなり時間をかけ準備を。結果、来てくれた20人はみんな初対面でしたが、かなりイベントに興味を持ってくれました。当日の手伝い等だけではなく、食材の調達の交渉等、非常に協力してもらえました。またイベント会場の大学は僕がいたところからは少し遠く、頻繁には行けないので、連絡とかfacebookでのやりとりとかそういう細かいところにかなり気を使いました。言語面でハンデを背負っていても、それをカバーする方法はある、想いで乗りきれる部分があるというのを身をもって感じ、度胸がつきました。貴重な経験だったと思います。

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(初対面の学生へのプレゼン。)

日本人であることは、強み。

留学を通して、心境の変化はありましたか?

先に言ったように、始めは日本語は一切使わんとこって思ってたんですよ。だから始めのうちは日本人と目があっても挨拶しかしなかったり、話すときも英語で話たりしてた。でもどうしても日本人と協働したり、日本語を使わざるを得ない状況が出てきたんですね。イベントが特にそう。最初イベントをやろうかという話になった時、正直悩みました。日本文化を紹介するイベントとなればその過程で日本語を使うことは必須。でも ここでそれにこだわってイベントをやらないっていうのはすごく勿体無いだろうなって思った。それに、ある程度言語ができるようになって、コミュニケーション出来るようになってきて余裕が出てきたんですね。そうなった時、言語が完璧になるだけじゃあおもんないなって思った。そこでじゃあ自分はベルギーで何ができるんだろう、自分が出せる価値ってなんだろうかって考えた時、”日本”というファクターが出てきた。やっぱり自分は日本で生まれて日本で育ちましたから。日本人ということを活かして何かできるんじゃないかと 。そう思ってから、日本がもっともっと好きになったし、日本人であること、そして日本語を話すことに誇りを感じる様になりました。

自分の存在感を、どう出していくか。

留学全体を通して何か思うことがあれば。

やっぱり何か持ってると強いなと。自分の場合はサッカーでした。サッカーは小さい時からずっとやってて、大好きなんです。ベルギーでもずっとサッカーやりたいやりたい言ってて、「サッカーと言えばあいつ」みたいな感じで認知されるようになって、友達とかも作りやすくなりました。こっちの大学の体育会チームに入って、ベルギーの学生選手権で3位になりました。なんか日本にいるとちょっと人と違うことしてると目立つけど、こっち、特にベルギーって色々な多様性がごっちゃになってるから日本ではヘンと思われるようなことをしても全然目立たないんですよ。ちょっと大げさかもしれないですが、言語的なデメリットがある以上、何か示さないと存在を認識してもらえない。そういう意味で僕にはサッカーがあって、またきちんと自分の意見を言ったり、YES/NOをはっきり言う、あとイベント等には積極的に参加する等、自分の存在を示せる様に意識はしていました。

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(現地の友人と。)

原動力はいつも「すごいことしたい」

体育会、留学、イベント企画等、自分を動かしてるモチベーションは?

なんかね、かっこいいことしたい、すごいことしたいっていう子供みたいな想いがずっとあるんです僕は。笑 留学に来る前は自分がこういう様なイベントをやるなんて全く思ってもなかった。ただ将来的に起業とかしたいなという想いはあるし、何かすごいことしてやりたいとは思ってました。そこにイベントをやるような機会が転がってきて、飛び込んでみた。大変だったんだけど、「かっこいいことしたい、すごいことしたい」そんな想いで大体やってきた、乗り切ってきた感じがあります。

これからの展望を聞かせてください

5ヶ月間奔走してきたイベントを終え、今は力が抜けて少しぼーっとして、ゆっくりしてます。今まではイベントのことで頭がいっぱいで、先のことは全然考えてなかったんですが、帰国ももうすぐなので自分の将来についてゆっくり考えています。元々は院に進む予定でしたが、今は就職も悪く無いかななんて思っています。あんまシステムとかよく分かってないんですけどね。まぁ何とかなるでしょう!

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(聞き手/文責: 上村 直也)

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中道 学人(なかみち まなと)
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京大サッカー部 

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